日本伝統鍼灸学会 鍼灸スタイル 治療家

元自衛官特殊部隊はいま、健康美をサポート古代鍼「九鍼」を継承し、治る力を引き上げる鍼灸スタイルを新たな活躍の場に。

緑の風を連れてスタジオに現れた鍼灸の治療家は「女優?」と想わせられるオーラを放つ。元海上自衛隊の特殊部隊で爆弾処理や船の解体、行方不明者の捜索などを仕事とした人にはとても見えない。
生まれも育ちも東京・葛飾。生粋の江戸っ子。大学でコミュニケーション学を専攻する19才の頃、神風特攻隊を知る。沖縄も訪ねた。「国のために働きたい」。大学を中退し海上自衛隊に入隊。訓練が厳しい水中爆弾処理班を志望。史上、女性は2人目だった。スキューバーダイビング6000時間。80㎏の装備を着けるヘルメット潜水、第2次世界大戦のロケット弾の処理も。約10年、自衛官として務め、その後は民間の会社「深田サルベージ建設」で海洋調査を主に8年間勤める。様々な専門家との出会いがあった。「自衛官の時代はきつい訓練の連続。洗濯機の中みたい。でも自分が求めた世界。苦ではなかった」。

 

鍼灸の出会いは30才を過ぎたこの頃。合気道を通じて知り合った先輩たちに役に立てればと鍼灸学校に通い始める。そこで、中国の古代鍼「九鍼」を伝承する石原克己さんに師事。助手として同氏が立ち上げた日本伝統鍼灸学会の講師としても活動。長い針を使う九鍼、東洋医学、薬学、スピリチュアル。緩和ケアも実践的に学んだ。3年後、専門学校を卒業。六本木の医療院でモデルや女優、力士やアスリートにも施術した。

 

移住のきっかけは東日本大震災。結婚し家族と暮らしていた千葉は放射線量が高く毎日警告が発表された。子どものアトピーもあり関東から少しでも遠くへと九州を目指した。子どもも1人増えた。水を求めて沖縄、宮崎で暮らし、縁あって大分に居住したのは2019年。要人の警護を職とした夫とは寿離婚。生計のため大型トラックのドライバー、新日鐵に1年半。2000人の男性の中で紅一点の部署も「面白かった」と笑って話す。


「人との出会いがここまで引き上げてくれた」。坂ノ市で始めた治療院を移転。2020年2月に庄の原に治療院「鍼灸スタイル」をオープンした。訪ねてくる人たちは様々。難病や持病に悩む人たち。ギックリ腰、アスリート等々。「私は治る力を引き上げているだけ」。養護施設から介護脱毛の相談も来る。もちろんエステにも取り組む。治療で心がけていることは共感と傾聴と笑って話し、カウンセリングをとても大切にする。緩和ケアハウスの取り組みも。難病に悩む人も光を見て生きてほしい。人生の選択をするのは自分。「笑って人生を過ごしたい」。自衛官として学んだ熱き思い。原発事故をきっかけに移住した大分。「人のよさ、美しい自然、清らかな水、温泉…。恵まれた環境で仕事ができる幸せを、日々感じています」。